XXX holic いま見直してます、読み直してるがただしいかな。
地獄の最中にいる私にいつも希望をくれたおはなし。
続きを見ていなかったのですが、続きはつらくて、涙を堪えながら見ています。
本当に素敵なおはなし。
よかったら見てみてください。
XXX holic いま見直してます、読み直してるがただしいかな。
地獄の最中にいる私にいつも希望をくれたおはなし。
続きを見ていなかったのですが、続きはつらくて、涙を堪えながら見ています。
本当に素敵なおはなし。
よかったら見てみてください。
すっかり冬らしくなってきましたね。
寒いです。
最近すごく怒りっぽい日々が続いていました。
なんてことないささいなことで足の裏側から炎が湧き上がってくるように怒りが湧くのです。
面白いことに頭で考えてもよく自分が怒っている理由が説明できないのです。
体の不調なのか、なんなのか。
そういうことで気になって、色々怒りというものに調べていると、脳科学の情動に行きつきました。
「情動はこうしてつくられる」
という本がとても興味深かったです。
情動とは、簡単に言えば感情です。
そこでは情動の仕組みを明らかにすべく行われた研究がたくさんあり、シンプルに畑違いの研究のことを見ることは面白かったです。
それはそうとして、特に興味深かったのが情動の仕組みの新しい定義についてです。
古典的な?(あまり詳しくないので間違っていましたらすみません)情動への考え方とは
「情動は、うまれつき組み込まれている、身体の内部で起こる明確に識別可能な現象なのだ」
まあ簡単に言えば、何かが起こればスイッチを入れたように感情が噴き出てくる、というものです。
この本では新しい情動の定義として「自らの経験と体験が一致したときに沸き起こるものである」(これが全てではありません)とされていました。
これを読んだとき体に雷を受けたようでした。
思い返せば私が怒りに震えた時、過去自分を防衛するためにひたすら世界を憎んでいた頃に遭遇したような状況に似た状況だったのです。
怒りの原因を考えてもわからないのは当たり前でした。
ただ過去の怒りの焼き増しを経験しているだけだったのです。
そう思うと、ふっと心が軽くなるような気持ちと、まだ自分が過去に向き合わなければいけないことに嫌気がさしました。
でも嫌気がさしている場合じゃないのですよね。
最近HSPという他社の感情の機微に敏感な人が増えていると聞きます。
研究室の後輩を指導していると、本当によく感じます。
(最近すごく困難に感じてます…)
ただ私の未熟さの怒りで他者に負の感情をばら撒くことはあってはならないと思います。
だからこそ、怒りとその奥の傷にまた向き合ってみようと思います。
「辛い時は成長しているとき。体と一緒。
心も成長するとき痛みが伴うのよ。」
母がくれた言葉です。
成長痛をたくさん感じたいと思います。
母親と向き合って話す機会に恵まれました。
全てじゃないけど二人の思いを話して、似たもの同士だからお互いがお互いに先回りして、閉じこもって。
そういった思い込みが溝を広げていたんだな、と気づくことができました。
自分の中ですごく大きかったのが、ずーっと嫌だったことを母親に伝えられたこと。
母親はとても優しい人です。自分はいいからと、すぐ人にあげてしまう人。昔からずーっとそうでした。ずーっと。
それが昔から嫌でした。
裕福な家じゃなかったから、私が何かわがままを通すと、母親から何かが消えていた。
それを見ると、あんなに欲しくてたまらなかったものがチンケに見えて、自分の愚かさにたくさん泣きました。
自分の一部をちぎってあげてしまう母親が心から嫌いで、心から羨ましかった。どうやら父親に似ているらしい私は悪知恵が働き狡猾に生きています。
やっとそれを、伝えることができました。
「ボロボロになってまで、くれなくても、支えてもらわなくても私は大丈夫だから。どうか自分を大切にして。」
とてもとても勇気のいることでした。
でもすごくすごくスッキリしました。ずーっと溜め込んでた心の闇が取れた感じ。
母親は少し考えて
「わかったよ。もう大きくなったんだね。お母さんの気持ちいつかお母さんになったらわかるかもね。」
と寂しそうに言っていました。
冷たいかもしれないけど。やっぱりわからない。
子供だって、母親の幸せを何より祈っていて、
誰よりも母親の誇りでいたくて、
格好つけたいんだよ。
やっぱり子供だなあ、自分。
いつか、近所に叫びたくなるくらい大きい人間になるね
ありがとう、お母さん。